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「幻」の帖について話します。

幻
 今回は、「幻」の帖について話します。よろしくお願いします。この話は、光源氏(以下「源氏」と表記)の物語の実質的な最後の帖です。ですので、非常に悲しい雰囲気に包まれているのが、いいと思いますね。それは、源氏が最も愛した、紫の上が亡くなってしまったからです。源氏は、基本的に、好色な男なので、非常に意気旺盛なのですが、まるで勢いを失ったかの様に、寂しさに暮れている訳です。
 こう言う悲しい雰囲気なんですが、ここで一つ心温まる様なエピソードがありますので紹介します。この絵の男の子は、匂宮(におうのみや)です。匂宮は、今上帝(物語で四番目に即位する帝)と明石中宮の間に生まれた御子です。亡くなった紫の上は、生前に匂宮に対して、「あなたが大人におなりになったら、ここへお住みになって、この対の前の紅梅と桜とは花の時分に十分愛しておながめなさいね。時々はまた仏様へもお供えになってね。」と言っていました。(「御法」の帖)。紫の上が亡くなった後、匂宮は、桜の木を訪ねに来ます。匂宮は、「私の桜がとうとう咲いた。いつまでも散らしたくないな。木のまわりに几帳を立てて、切れを垂れておいたら風も寄って来ないだろうと思う」と言います。几帳とは、私が描いた絵の、左側の幕の様なものです。
 ここからは、この話の解説と、私がこの話を読んでどう思ったかを述べていきます。平安時代の高貴な女性は、みだりに異性に顔を見せてはならないとされていました。男と女が話をする時は、几帳や御簾で物越しに話していました。その几帳を、桜の木の周りに並べて置いておこうと言う風に、匂宮は言う訳ですね。ここで面白いのは、本来几帳と言うのは、さっき申した様に、相手の顔を見て話をするのではなく、隔てとして立たせておく物なんですけど、それを本来の目的に使うのではなくて、桜の木の花が散ってしまわない様に、風を避ける為に、几帳を周りに置こうと言っている訳ですね。それが、子供らしい発想で、いいと思います。何で、そう思うかと言うと、本来と違う目的で、こう言う風に几帳を使おうと言うのは、子供ならではの発想ですよ。大人でしたら、常識にとらわれてしまって、そう言う発想は出てきません。ですけど、自由な発想で几帳を木の周りに並べておこうと、そう言う風に言うのは、微笑(ほほえ)ましい話で良いと思います。
 この話と似た様な話が存在します。それは、亡くなった紫の上自身が、十歳の頃の話で、若紫と呼ばれていた時の話です。若紫は、「雀の子を犬君(いぬき)が逃がしてしまいましたの、伏籠(ふせご)の中に置いて逃げないようにしてあったのに。」と言います。(「若紫」の帖)。若紫は、伏籠の中に、雀を閉じ込めて飼っていました。伏籠は、本来そう言う事する為のものではない訳ですね。伏籠は、香炉を炊いて上にかぶせ、その上に衣を掛けて、衣に匂いを移す為のものです。紫の上と匂宮は、源氏の妻と孫で繋がりがあるのですが、似た様な事をやっているのが、面白いと思います。
 最後に、「幻」の帖の魅力についてまとめます。特に、源氏の最愛の妻の紫の上が亡くなったと言う悲しい雰囲気がいいと思います。特に、源氏物語の中で、このシーンは、美しいと思います。その中で、匂宮の、桜の花が散らない様に、几帳を桜の木の周りに置こうと言う、子供らしい発想が、この悲しい雰囲気を和(なご)ませていいと思います。貴方は、この話をどう思いますか。教えていただけたら幸いです。ここまで、読んで下さいまして、ありがとうございました。
出典 与謝野晶子 源氏物語

テーマ : 恋愛小説 - ジャンル : 小説・文学

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