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明石の上について話します。

明石の上
 今回は、源氏物語の明石の上について話します。よろしくお願いします。明石の上について説明します。明石の上は、前播磨守(さきのはりまのかみ)の明石の入道の一人娘です。光源氏(以下、源氏と表記)は、右大臣の娘、朧月夜と、密かに男女の関係を続けていましたが、ある日、その事が、右大臣と弘徽殿女御、大后に露見してしまいます。源氏は、これを機に、自ら須磨で謹慎する事を決めました。源氏は、須磨から明石に行き、そこで明石の君と出会い、結婚して、明石の君は明石の上になります。明石の上は、娘、明石の姫君を出産します。明石の姫君は、天皇の妻になります。粗筋は、ここまでです。
 ここから、私が、明石の上について思う事を述べていきます。明石の上は、とても大人しくて、控え目でいいと思います。また、明石の上の特長として、達筆である事、琴、琵琶の演奏が非常に上手である事が挙げられます。明石の上は、何でも人並み以上にこなします。それがいいと思います。
 明石の上は、源氏との子、明石の姫君を出産しました。明石の上は、自分の娘である明石の姫君と、ほとんど話もしなかったですし、躾にも参加しなかったし、育児も参加しませんでした。それは、なぜかと言うと、明石の上の娘の明石の姫君を、後の天皇の妻にする為には、明石の上では非常に身分が低いと言う事で、でしたら皇族である紫の上に、明石の姫君を育てさせた方が、姫君の出世の為にはいいと源氏は思って、その事に対して、明石の上は同意をする訳なんですよ。明石の上は、娘の出世の為、さらには源氏の出世の為に、自分と自分の娘である明石の姫君との絆を犠牲にした訳なんですね。私は、それが明石の上の魅力だと思います。
 私は、最初に源氏物語を読んだ時、明石の上は、源氏からも大切にされて、その上、自分の娘が天皇の妻になったので、一点の不満もない非常に幸せな人物であると言う解釈をしていました。だから、私は、明石の上に対して、あまり魅力を感じていませんでした。私は、明石の上が自分の娘との絆を犠牲にして耐え忍んでいる事に全く気付いていませんでした。明石の上は、源氏に対して不満を言う事がないので、私は気付かなかった訳です。私が、その事に気付いたのは、源氏物語の人物の中で明石の上が一番好きだと言う方に、その事を教えてもらったからです。私は、今まで、あまり魅力を感じていなかった明石の上が、途端に魅力的に感じる様になりました。
 貴方は、明石の上について、どの様に思っていますか。良ければ、教えて頂けたら幸いです。ここまで、読んで下さいまして、ありがとうございました。
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明石の上、紫の上、女三の宮について話します。

女楽
 今回は、明石の上、紫の上、女三の宮について話します。よろしくお願いします。この絵は、若菜、下の帖、六条院で、女楽をする場面です。左の女性は、明石の上。真ん中の女性は、紫の上。右の女性は、女三の宮です。明石の上は、琵琶を弾いています。紫の上は、和琴(わごん)を弾いています。女三の宮は、琴(きん)を弾いています。三人とも、光源氏(以下、源氏と表記)の妻です。正妻は、女三の宮になります。
 ここから、私が、思う事を述べていきます。私のイメージでは、明石の上は、とても大人しい性格をしていると思います。それでいて、控え目で、私はいいと思います。紫の上は、女性らしくて、とても性格が明るい訳ですね。子供の頃から、源氏の近くにいて、妻になってからも、ずっと源氏の近くにいると言う事で、源氏の寵愛が厚い訳ですね。それが、いいと思います。女三の宮は、この中では一番若いですね。女三の宮は、朱雀院の娘です。女三の宮は、14歳の時に源氏に降嫁、この女楽の時で21歳です。女三の宮は、人見知りをする性格で、あまり自ら心を開いて話す事をしない人物です。女三の宮は、猫を飼っていて、可愛がっています。女三の宮は、あまり人と話したがらない性格をしていて、あまり周りの女房とも話したがりません。ですけれど、猫に対してだけは心を開いて話す様な性格をしているのではないかなと、私は思います。私は、それが女三の宮の魅力だと思います。
 この3人の中で、明石の上が、一番、楽器が上手いと思います。なぜなら、明石の上の父親の明石入道は、琵琶の達人な訳ですね。父親の手ほどきを受けた明石の上は、当然、琵琶の達人です。それが、いいと思います。紫の上も楽器の演奏は、上手いです。なぜなら、紫の上は、源氏の手ほどきを受けているからです。源氏は、絵が特に上手いです。源氏は、天才なので、楽器も上手い訳ですけれど、楽器の達人と言えば、致仕大臣(ちじのおとど、元の頭中将)と明石入道です。ですので、源氏は、楽器の演奏に関しては、致仕大臣と明石入道に劣っていると思います。紫の上は、ある程度、楽器を上手く弾けますが、達人の域では無いと思います。女三の宮は、源氏の正妻になってから6年が経っていました。女三の宮は、今まで源氏から琴(きん)を教わっていましたが、さほど上手には弾けませんでした。源氏は、この女楽の日の為に女三の宮に熱心に琴を教え、女三の宮は、女楽の日に琴を上手に弾く事が出来ました。それが、良かったと思います。
 ここには、描いてないですが、明石の上の娘の明石女御も、筝(そう)で演奏に加わっていいます。また、源氏の息子の夕霧も拍子木で演奏に加わっています。若菜、下の帖の女楽の場面は、源氏物語の中でのクライマックスの一つだと、私は思います。なぜなら、源氏物語の主な登場人物が一同に集まって、これほどの大きな雅楽の演奏をするからです。私は、女楽の場面に、とても魅力を感じています。貴方は、どう思いますか。教えて頂けたら幸いです。ここまで、読んで下さいまして、ありがとうございました。

大伯皇女について話します。

大伯皇女
 今回は、大伯皇女(おおくのひめみこ)について話していきます。よろしくお願いします。大伯皇女について説明します。大伯皇女は、天武天皇と大田皇女(おおたのひめみこ)との間に生まれた皇女です。大津皇子(おおつのみこ)は、大伯皇女の実の弟です。天武天皇と讚良皇女(さららのひめみこ、後の持統天皇)の間に生まれた皇子が、草壁皇子(くさかべのみこ)です。讚良皇女は、天智天皇と遠智娘(おちのいらつめ)の間に生まれた皇女です。大田皇女と讚良皇女は、実の姉妹です。同じ、天武天皇に嫁ぎました。讚良皇女は、皇后となり、天武天皇が崩ぜられた後、持統天皇になります。
 ここから話を続けて行きます。草壁皇子と大津皇子の間で、天武天皇の後継者争いが起きました。どちらを跡継ぎにするか、もめる訳ですね。結論から言うと、天武天皇が崩ぜられた後、大津皇子は、謀反の疑いで処刑されます。大津皇子が亡くなり、草壁皇子が即位するはずだったのですが、草壁皇子は、その後、大津皇子を追う様に亡くなってしまいます。
 なぜ、大津皇子が処刑されなければならなかったのかと言うと、讚良皇女は、自分の息子である草壁皇子を後継者にしたかったので、大津皇子が後継者になっては困る訳ですね。ですので、大津皇子に、無実の罪、謀反の疑いを掛けた訳です。私は、大津皇子の処刑は讚良皇女の意向と考えます。もちろん、実際に大津皇子が謀反を計画したと言う説もあります。
 大津皇子の姉である大伯皇女は、伊勢の斎宮(いつきのみや)をしていました。大津皇子は、処刑される前、ひそかに大伯皇女に会いに行っていた事が、万葉集によって伝えられています。万葉集を読んでいきます。巻ニ。
大津皇子、忍んで伊勢神宮に参られて、都へ戻られる時、姉君、大伯皇女の作られた御歌   
105 吾が兄子(せこ)を大和へやると、さ夜更けて、暁露(あかときつゆ)にわが立ち濡れし
(大事のあなたを、大和へ立たすというので、夜更けてから外へ出て、明方近い露の為に、立っていて濡れたことだ。 )  
106 二人行けど、行き過ぎ難き阿騎(あき)山を、いかにか、君が一人越えなむ
(あなたが大和へ帰る途中にある、あの阿騎山は、わたしも知っている。二人連れて歩いて居ても、寂しくて通りにくい所であった。それに如何して、あなたが独りで、越えてお行きなさるだらう。)  
 大伯皇女は、大津皇子が処刑された事を聞き、悲しみます。大伯皇女は、伊勢の斎宮の役目を終えられ、都に戻ります。その時、大伯皇女が詠んだ歌が、万葉集に伝えられています。万葉集を読んでいきます。
大津皇子、薨(こう)ぜられて後、大伯皇女、伊勢の斎宮(いつきのみや)から、都へ上られた時の御歌  
163 かむかぜの伊勢の国にもあらましを。何しか来けむ。君もあらなくに
(こんなことなら、伊勢の国に居たはずだのに、どうして来たのであらう。壊しい弟の君も居られないのに。 )  
164 見まく欲(ほ)り我がする君もあらなくに、何しか来けむ。馬疲るゝに
(折角逢おうと思うてやって来た方も、御いででないのにどうして、わざわざ馬が疲れるのにやって来たのであらう。 )  
大津皇子の亡骸(なきがら)を、葛城の二上山(ふたかみやま)に移葬し奉った時、大伯皇女の御歌。二首   
165 うつせみの人なる我や、明日よりは、二上山を阿弟(いろせ)と我が見む
(肉体を持つた人間である私として、大事の弟を葬った山だから、明日からは、二上山をば兄弟と見ねばならぬのだらうか。)  
166 石(いそ)の上に生ふる馬酔木(あしび)を手折らめど、見すべき君がありと云はなくに
(岩の辺に生えて居る馬酔木を折っても見ようが、しかし見せたいと思う方は、生きていると言うではなし、詰らぬことだ。 )  
 ここからは、私の意見と感想を述べていきます。大津皇子の処刑は、悲劇的な事です。なぜなら、讚良皇女(持統天皇)の自分の息子、草壁皇子を天皇の跡継ぎにしたいと思う、身勝手な思いから、大津皇子は処刑されてしまったからです。大津皇子は、皇后の権力の前に、敗れ去った訳です。大伯皇女は、弟が亡くなり、悲しみも、ひとしおだと思います。大伯皇女が、万葉集に残した短歌、6首は、全て弟の大津皇子を哀れんだものです。それ以外の短歌は、詠んでいません。そこに、魅力を感じます。大伯皇女は、伊勢の斎宮として神に仕えていながら、悲しい出来事を経験したからこそ、魅力的だと思います。貴方は、どう思いますか。教えて頂けたら幸いです。ここまで読んで下さいまして、ありがとうございました。
 出典 折口信夫訳 口訳万葉集

十市皇女について話します。

十市皇女
 今回は、十市皇女について話します。よろしくお願いします。十市皇女は、大海人皇子(後の天武天皇)と額田王の娘で、中大兄皇子(後の天智天皇)の息子である大友皇子(後の弘文天皇)の妃です。
 高市皇子(十市皇女の異母姉弟)は、十市皇女が亡くなった時に、痛切な挽歌3首を万葉集に残しています。その事から、十市皇女は、高市皇子と恋仲であったと思われます。しかし、大友皇子は、十市皇女を妃にしています。大友皇子は、高市皇子から十市皇女を奪い取って自分の妃にしたと思われます。天智天皇が崩御し、大友皇子は皇位を継ぎ、弘文天皇になり、十市皇女は、皇后になります。
 大海人皇子は、我こそが正当な皇位継承者だとして、弘文天皇に反乱を起こします。これが、壬申の乱です。十市皇女は、とても難しい立場に立たされます。なぜなら、十市皇女にとって、弘文天皇と大海人皇子の戦いは、夫と父との戦いだからです。そこが、とても魅力的だと思います。
 宇治拾遺物語には、十市皇女が弘文天皇の状況を伝える手紙を鮒(ふな)の腹に入れて、父の大海人皇子に送った話が残っています。ですので、この話が正しければ、壬申の乱の大海人皇子の勝利の最大の貢献者は、十市皇女と言う事になります。私は、この話には疑問を感じます。なぜなら、宇治拾遺物語には、滑稽な作り話がたくさん書かれているからです。もう一つの理由として、この話を正しいとすると、十市皇女は、天皇である夫を裏切って、父に味方した事になり、倫理的な問題が生じるからです。私は、十市皇女が鮒に手紙を入れて送った事は、無かったと考えます。もちろん、どちらを取るかは、皆さんそれぞれ違うと思います。
 弘文天皇が自害した事によって壬申の乱が終わり、大海人皇子は、即位して天武天皇になります。十市皇女は、夫に先立たれ、もう高市皇子と結婚する事に何も問題が無いのですが、ここで一つ問題が生じます。なぜなら、十市皇女と高市皇子が結婚してしまうと、世間に、その為に壬申の乱を起こしたと誤解されてしまうからです。ですので、天武天皇は、しばらくの間、十市皇女と高市皇子を結婚させませんでした。天武天皇は、十市皇女を泊瀬の斎王(いつきのみこ)にする決定をしました。ですが、十市皇女が泊瀬に行く当日になって、十市皇女は亡くなってしまいます。日本書紀には、病の為に亡くなったとしていますが、あまりに、亡くなるタイミングが良すぎる事から、自害したのではないかと言う説も当然出てきます。私は、十市皇女は自害したと考えます。十市皇女が自害した理由は、もう自分と高市皇子の結婚が絶望的になり、未だに自分に恋焦がれている高市皇子を解放する為だったと思います。
 私は、万葉集の世界で一番好きな人物は、十市皇女です。なぜなら、十市皇女は、難しい立場で、夫の弘文天皇からも、父の天武天皇からも、「敵」の身内と見られてしまうからです。十市皇女本人の心労は、相当なものだったと思われます。悲しい運命を背負って生きたからこそ、魅力的だと思います。万葉集に、十市皇女が残した歌は、1首も残っていません。十市皇女は、謎に包まれていて、ミステリーだからこそ魅力的だと思います。皆さんは、どう思いますか。教えていただけたら幸いです。
 最後に、万葉集から、高市皇子が十市皇女が亡くなった時に詠んだ短歌を3首示します。
万葉集、巻二  
  十市皇女の薨ぜられた時、高市皇子尊が作られた御歌。三首  
156 神籬(みもろ)の神の神杉過ぐる惜しみ、影に見つゝぞ寝(い)ねぬ夜ぞ多き
  死んで過ぎ去つて終ふ人の余波(なごり)惜しさに、幻影にばかりその人を見て、寝られない晩が多い。
157 三輪山の山辺真麻木綿短木綿(やまべまそゆふみじかゆふ)、かくのみからに、長しと思ひき
  三輪山の辺で出来る真麻の幣帛、その短い幣帛のやうに、僅かこればかりしかない、我々の短い契りだつたのに、何時迄も長く続くものだ、と安心して居た。其が残念だ。  
158 山吹の立ち儀(よそ)ひたる山清水、汲みに行かめど道の知らなく
  十市皇女の葬つてあるみ墓の辺には、山吹のとり囲んだ山の清水がある。それを汲む為に、御霊は通うてゐられようが、人間の自分には、その道を知ることが出来ないから逢はれない。
 ここまで、読んで下さいまして、ありがとうございました。
出典 折口信夫訳 口訳万葉集

とりかへばや物語 あらすじ、解説

とりかへばや物語 1
 今回は、とりかへばや物語について話します。よろしくお願いします。まず、とりかえばや物語は、どう言う物語かを、簡単に説明します。左大臣家の、二人の子供、兄と妹が主人公です。妹は、天皇の妻、中宮になり、女性として最高の地位を極めます。兄は、大臣になり、臣下として最高の地位を極めます。基本的に、ただそれだけの物語です。とてもシンプルな物語です。ですけれど、最初、男女が入れ替わっていました。妹は、男の格好、兄は、女の格好をしていた訳です。外見と性別が違うので、途中で物事が上手く行かなくなります。途中で、二人は、入れ替わり、外見と性別が一致して、物事が上手く行くようになると言う物語です。では、ここから、あらすじを言っていきます。この絵は、主人公の左大臣家の子供の一人、妹の若君です。狩衣を着て、髪は背丈に少し足りない位の長さです。性格は活発で、漢詩、和歌、琴、笛を得意にしています。
とりかへばや物語 2
 この絵は、もう一人の主人公、左大臣家の嫡子、兄の姫君です。袿(うちき)を着て、髪は背丈より少し長い長さです。性格は内気で、家に引きこもり、絵を描く事、雛遊びを得意にしています。
とりかへばや物語 3
 若君は、元服し、大夫の君、侍従、三位中将、権中納言と昇進して行きます。ここからは、若君(妹)を中納言と呼んでいきます。中納言は、右大臣の娘、四の君と結婚します。この絵の、左が中納言、右が四の君です。中納言は女なので、女同士の結婚になります。なぜ結婚する事になったかと言うと、四の君の父の右大臣が結婚を申し出たからです。しかし、しばらくして、中納言の親友である宰相中将が、四の君を寝取ってしまいます。宰相中将について説明します。宰相中将は、式部卿宮(しきぶきょうのみや)の御子です。四の君は、宰相中将の子供を妊娠してしまいます。だから、四の君は思い沈んでいる訳です。中納言は、四の君の身を案じています。中納言は、四の君が妊娠した事が分かり、相手は宰相中将に違いないと思うのですが、確信を得る事ができません。
とりかへばや物語 4
 一方、姫君(兄)は、裳着をし、尚侍として東宮に宮仕えする事になりました。ここからは、姫君を尚侍と呼んでいきます。東宮は、女性です。なぜ、帝の跡継ぎである東宮が女性なのかと言うと、当時、帝には、跡継ぎの男子がいませんでした。ですので、先帝の御子の女一の宮が、仮の役職として東宮になっていました。この絵の、左が東宮、右が尚侍です。尚侍は、夜伽(よとぎ)をしていました。いずれ、東宮と尚侍は、色々話をしている内にお互いに好きになり、男女の性的な関係を結ぶ様になります。東宮に、尚侍が男である事がばれてしまうのですが、東宮は、その事を二人だけの秘密にしました。しばらくして、東宮は妊娠します。
とりかへばや物語 5
 一方、中納言(妹)は、妻の不倫の件で世の中が嫌になり、吉野山の宮に会いに行きます。この絵の、右の人物が吉野山の宮です。吉野山の宮について説明します。吉野山の宮は、先帝の第三皇子です。ここから、吉野山の宮を、「宮」と呼んでいきます。宮は、特に優秀な人物でした。この為、唐土で留学をしていました。唐土の大臣は、娘の婿になって欲しいと申し出て、宮は、それを承諾しました。宮と妻の間に、二人の娘を持つ様になりました。しかし、しばらくして、宮は、妻に先立たれてしまいます。舅の大臣も亡くなってしまいます。他の大臣や公卿から、娘の婿になって欲しいと申し出があったのですが、宮は、再婚するつもりが無く、その話を断りました。すると、逆恨みして宮を亡きものにしようとする者が現れ、その噂を聞いた宮は、二人の娘を連れて逃げる様に帰国しました。しかし、しばらくし、宮が謀反の心を持っていると言う噂が流れ、宮は、吉野山に行き出家をしました。その後、宮は、吉野山の宮と呼ばれる様になります。中納言は、吉野山の宮の噂を聞き、吉野山の宮に師事する様になりなりました。
とりかへばや物語 14
 この絵は、吉野山の宮の娘の姉宮です。中納言は、吉野山の宮の姉宮と仲良くなります。しばらくして、中納言は帰京します。
 中納言の親友である宰相中将は、中納言が好きでした。しかし、宰相中将も、男同士で親友以上の間柄になる、つまり、恋人同士になる事は、避けたかった訳です。
 そこで、宰相中将は、中納言にそっくりと噂の尚侍の所に詰め寄り、自分の恋心を訴えます。尚侍は、「物忌みが終わると父君も中納言もこちらに来るでしょうから、このままでは困ります。もし本当に深い愛情があるのでしたらここを立ち去り、『志賀の浦の風』のように私に文を下さいましたら、どれほど嬉しい事でしょう」と、宰相中将に言います。宰相中将は、しぶしぶ、その場を立ち去ります。しかし、その後、尚侍からの手紙は、いくら待っても来ません。宰相中将は、尚侍に完全にだまされてしまった訳です。宰相中将は、尚侍に振られてしまった訳です。宰相中将は、男に振られてしまったと言う事になります。
とりかへばや物語 6
 この絵の、左が宰相中将、右が中納言です。宰相中将は、中納言と親友以上の間柄になる、つまり恋人同士になる事は、男同士だからと言う事で、どうしても避けたかったのですが、ある日、どうしても我慢が出来なくなります。それは、どうしてかと言うと、中納言は、夏暑かったからと言う事で上着を脱いでいました。そうすると、衣の下に中納言の細い体があらわになって、宰相中将は、理性が飛んで中納言に抱き付いてしまいます。すると、宰相中将は、中納言が実は女である事に気付いてしまいます。宰相中将は、嫌がる中納言に対して、無理やり性的な関係を結びます。その後、宰相中将は、中納言に対して、何度も何度も性的な関係を結びます。いずれ、中納言は妊娠してしまいます。
 三月一日、帝は、南殿でお題を基に詩を作る桜の宴を催します。そこで、中納言は、素晴らしい詩を作り、帝から御衣を賜わります。その夜、管弦の宴が行われ、中納言は、素晴らしい笛の演奏を行います。その後、中納言は右大将に、宰相中将は権中納言に昇進します。ここからは、中納言を右大将、宰相中将を権中納言と呼んでいきます。右大将は、男装なのに、妊娠している為、腹がどんどん大きくなって、このままでは居られなくなります。ですので、右大将は、京から失踪する決意をしました。
 一方、四の君は、権中納言の子供の姫君を出産し、権中納言の二人目の子供を妊娠していました。右大将は、四の君に会い「もしこの世から私がいなくなったら、可哀想だと思ってくれますか」と言い、別れを仄(ほの)めかします。結局、これが、右大将と四の君の最後の別れになります。
とりかへばや物語 7
  この絵の、左が右大将、右が権中納言です。右大将は、権中納言を頼るしかありませんでした。右大将は、権中納言を頼って宇治で出産すると言う道を選びます。宇治で、権中納言は、右大将の男装を解かせて、女性の格好にさせます。当然、右大将は、あわよくば、ずっと男装を続けようと思っていたのですが、それが叶わなくなったので、塞いでいる訳です。
 京では、右大将が失踪した事が分かり、大騒ぎになります。その事を聞き付けた尚侍は、自ら女装を解き、男の格好をして、右大将を探しに行く決心をしました。ここからは、尚侍を男君と呼んでいきます。男君(兄)は、宇治に行き、右大将(妹)とおぼしき女性を見付けるのですが、スルーしてしまいます。なぜかと言うと、男君は、それが自分の妹だと言う確信が無かったからです。
 男君は、右大将が吉野山の宮の所を終の住処に決めていると言う噂を聞いて、吉野山の宮を訪ねました。男君は、吉野山の宮に、自分が右大将の兄であり、右大将が行方不明になっている事情を説明しました。吉野山の宮は、右大将がここに何度も来ていて、最後に来た四月一日頃に、七月の終わりには必ず連絡すると言っていた事を、男君に伝えました。男君は、右大将が約束をたがえる事は無いからと言って、ここで待つ事にしました。男君は、吉野山の宮に師事し漢籍を学びました。今まで女として生きてきた男君は、男としての嗜みを学ぶ訳です。ここからは、右大将を女君と呼んでいきます。女君(妹)は、男の子を出産します。女君は、吉野山の宮に手紙を出します。
とりかへばや物語 8
 この絵の、左が女君、右が男君です。手紙を見た男君は喜び、女君が居る宇治へ行き、権中納言の不在の中、女君と再会を果し、互いに涙を流します。男君は、女君に「私に代わって尚侍として暮らしたらどうですか。」と言い、自分と立場を入れ替える事を勧めます。その夜は、明け方近くまで兄妹で語り合います。男君は、父の左大臣が、失踪した娘を心配して臥せっているからと言って、女君を連れて帰らず、一旦京へ帰ります。
とりかへばや物語 9
 女君は、権中納言(元の宰相中将)から逃げると言う道を選びます。出産した男の子は、乳母に任せて宇治に置いて行く決心をしました。迎えに来た男君に手を引かれ牛車に乗り込み、権中納言が居ない中、京に帰りました。権中納言は、突然愛している女君が居なくなった事が分かり、非常に悲しみます。
とりかへばや物語 10
 男君と女君は、京の父左大臣の許に戻りました。この絵の、右が左大臣、真ん中が男君、左が女君です。左大臣は、男君に「息子よ、今後は右大将として宮仕えをしなさい。」と言います。男君と女君は、お互いに自分の立場を入れ替え、男君は右大将に、女君は尚侍になります。ここからは、男君を右大将、女君を尚侍と呼んでいきます。
 右大将(兄)は、四の君に会います。右大将(兄)は、四の君とは初対面であり、いきなり夫婦として付き合うのは不可能に近い状況ですが、上手く立ち振る舞います。
 一方、尚侍(妹)は、東宮と会います。東宮は、尚侍が入れ替わったいた事に気付いていませんでした。尚侍は、兄と入れ替わった事を隠したまま、東宮と付き合うのは不可能と考え、全てを東宮に打ち明けるつもりでしたが、決心出来ずにいます。尚侍は、しばらく、東宮と嘘を交えつつ取り繕いながら付き合っていました。尚侍は、兄の右大将を東宮に引き会わせます。東宮は、右大将(兄)の子供を妊娠していました。右大将は、自分と妹が入れ替わった事情を説明し、東宮は全てを理解します。東宮は、右大将が妊娠している自分を見捨てて、遠くに行ってしまった事が分かり打ち沈みます。その晩、右大将は、東宮と語り合います。
とりかへばや物語 13
 ある夜、帝は、尚侍に夜這いをします。この絵の、左が帝、右が尚侍です。なぜ、帝が尚侍に夜這いしたのかを説明します。帝は、右大将が好きでした。しかし、男同士で愛し合うのは避けたかったので、代わりに、尚侍を好きになりました。つまり、権中納言(元の宰相中将)と理由は一緒です。また、帝には、まだ世継ぎの男子が居ませんでした。ですので、どうしても世継ぎの男子が欲しかったからです。
 右大将は、吉野山の宮の姉宮と結婚します。右大将は、吉野山の宮の姉宮を正妻として迎えます。右大将は、麗景殿の女とも結婚します。麗景殿の女とは誰かを説明します。麗景殿の女は、麗景殿の女御の妹です。尚侍(妹)が、まだ男装をしていた時に、麗景殿の近くで、お互いに短歌を取り交わした事が切っ掛けで密かに付き合っていました。右大将(兄)は、尚侍(妹)に麗景殿の女の事を頼まれていました。
 権中納言は、右大将が取り持って、吉野山の宮の妹宮と結婚します。尚侍は、帝の世継ぎの男子の若宮を出産します。
右大将は右大将兼任の内大臣に、権中納言は大納言に昇進します。若宮は、東宮に決まり、尚侍は、女御になり、後に中宮になります。中宮は、東宮に引き続き、二宮、三宮、内親王を産みます。中宮は、皇室の繁栄に貢献します。内大臣は左大臣兼任の関白に、源大納言は内大臣に昇進します。内大臣(元の宰相中将)は、宇治の橋姫(今の中宮)が生んだ若君を見て、「どんな気持ちでこの子を見ず知らずのまま行方を絶ってしまおうと思ったのだろう。」と思い、悲しみます。物語は、ここで終わっています。貴方は、この物語をどう思ったでしょうか。教えて頂けたら幸いです。ここまで、読んで下さいまして、ありがとうございました。
 登場人物のセリフは、たまさんのホームページ「かたかご」(http://yamanekoya.jp/index.html)のとりかへばや物語、現代語訳から、許可を取って、使用させてもらっています。
 私の、とりかへばや物語、全体の感想は、ここ(http://t7362871.web.fc2.com/torikaebaya_kansou.htm)に記載しています。
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